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西岸寺(さいがんじ)





 学校の正門から南へ10分ほど歩いたところにあります。自伝によれば、ここは平安時代の末、当時の関白であった藤原忠通(ただみち)が建てたと伝えられる法性寺御小堂(ほうしょうじこみどう)があったところで、忠通の子、九条兼実(かねざね)もこの地を愛で、花園御殿とも呼ばれていました。後白河法皇もこの地によく御幸(ごこう)していたこともあり、後に法皇の御製にちなんで「西岸寺」と名づけられました。

 親鸞は、六角堂で救世菩薩より夢告を受けたことから、兼実の娘である玉日姫を娶ったと伝えられています。しかし、親鸞は承元元年(1207年)、この地より越後に流されてしまいます。玉日姫はそれ以来、この小堂を守り、親鸞の安否を気遣いながらここで亡くなりました。本堂には親鸞の自作といわれている「親鸞草鞋懸(わらじかけ)立像」が安置されており、本堂のそばには玉日姫のお墓があります。また、2012年の4月、京都市埋蔵文化財研究所が玉日姫のお墓を発掘調査した結果、人骨と骨つぼが見つかりました。このことについては同年6月、山形大学人文学部教授の松尾剛次先生による記者会見で発表されました。


御幸…天皇の外出のこと
御製…天皇の作った詩歌や文章
六角堂…中京区にある聖徳太子が建てたお寺















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